第十七回 記憶抹消? 『テレビのツボ』スタート!
■なにをやってる番組か理解できなかった
――
いよいよ読者が待ちに待った、ぜんじろうさん大ブレイクのきっかけとなった人気番組『テレビのツボ』放送開始後のお話を伺いたいのですが。
ぜん
……いや、申し訳ないんですが、最初の半年間の記憶がないんですよ。
――
えーッ! そうなんですか?
ぜん
はい……。
――
僕は一回目の生放送の日に現場にいたんですが、ゲストが松下由樹さんだったことは憶えていらっしゃいますか?
ぜん

いや、まったく憶えてないです。ほんまですか? 松下由樹さんが来てらっしゃったんですか?

――
僕に質問してどうするんですか(笑)。
ぜん
うっすら憶えてるのがね、*チャンネル君たちが箱のなかに入ってて、ぴょこっと顔を出す、そんなセットが確かあったでしょう?
――
ありましたね。顔だけ出すスチームサウナみたいな。
ぜん
僕ね、あれを見て、「モグラ叩きゲームをする番組なんや」と思ったんです。
――
なんで深夜の生放送でモグラ叩きゲームして遊ばなあかんのですか(笑)。あのセット、評判が悪くてすぐになくなったんですよね。
ぜん
そうでしたか。すぐになくなったもんに限って、よう憶えてる(笑)。いやほんま、なんの番組か、ようわからんかったですね。若手の芸人の子らもたくさん出てたと思うんですけど、かと言って大喜利するわけやないし。
――
まだNSCに通ってるような、ほんまに無名なね。あと、ダンサーの子らとか。番組開始当初、現場だった梅田花月シアターには*「ファンキー・ロケッツ」というダンスアクターユニットがあって、その子らもたくさん出てましたね。
ぜん
そうそう。そうでしたわ。思い出してきました(笑)。なんの番組かも理解できてないうえ、団体戦でガーッとやった番組やったやないですか。もともとラジオとかでずっと個人戦でやってきた人間やから、まずそれに慣れるのに随分かかりましたね。僕ね、この世界に入っていながらこんなこと言うのもアレですけど、人見知りなんです(笑)。人が苦手なんですよね。だから2回目の放送が終わったあと、プロデューサーの増谷さんに「司会、ぜんぶやりなおせ!」って、めちゃめちゃ怒られたんです。それはよう憶えてます。
――
人見知りのなのに出演者が異様に多いし、しかも月曜日から金曜日までディレクターが5人、全員違う人。慣れなかったのも無理ないと思いますよ。
ぜん
もうはっきり言いますわ。僕ね、3人以上、憶えられないんです(笑)。3人がギリ。5人は無理ですわ。だから週のうち2日は、頭がまわってないんです。打ち合わせしてても、「この人、誰?」って(笑)。
――
ディレクターだけじゃなく、ADまで平気でコーナーで喋ったりしてましたからね。考えたら異常な番組ですよね。スタッフがテレビに総「出演」でしたから。スタッフどころか、うちの元・嫁さんまで出てましたし。毎日放送の番組なのに、頼まれもせんのに勝手に他局の番組を宣伝したり分析したり。こんなケッタイな番組を司会者が長く理解できなかったのも、いたしかたない。
ぜん
それやのに番組が始まった当初は、よくプロモーションに行かされたんです。なんのこっちゃようわかってないのに質問に答えるのが辛かった。「初の帯番組の司会、いかがですか?」って言われても、記憶が飛ぶくらいパッツンパッツンやのに、いかがもなにも……。見当違いのことを言うて、迷惑かけたらあかんでしょう。だから返答に困りました。
――
たぶん質問する方も、どんな番組なのかすべては理解できてなかったと思いますよ。
ぜん
そうなんです。だから「えらいマニアックなことをされてますね〜」ってよう言われたんです。前にも言うたけど、僕はこの仕事を請ける前、「ニュース番組やから口出しせんといてくれ。マニアックなことはせんといてくれ」って言われてたんです。だから自分のカラーを殺した、マニアックの真逆の番組だったんです。それで「マニアックなことしてる」って言われて、もうどないやねんと。
■毎晩、同じ時間に同じ場所に行くだけの日々
――
なんせキャッチフレーズが「関西一の、ええ兄ちゃん」でしたからね。自分のカラーを殺すというのは、やっぱり辛かったですか? 悩みましたか?
ぜん
いや、それはなかったです。それより吉本の社員さんたちがえらい気を遣ってくれて。それがプレッシャーで、むしろ辛かったですね。深夜の生放送でしょ。だから「ぜんじろう、身体大丈夫か?」「えらい痩せてきたぞ。病気ちゃうか? 病院行ってこい!」って、しょっちゅう言われるんです。でもこっちは逆に生活のサイクルがちゃんとしてきて、どんどん健康になってるんです(笑)。
――
芸人の生活というより、夜にガードマンの仕事に行くような感じになってきてますよね。
ぜん
そうなんです。会社から「ちゃんと夜7時まで寝とけ」ってきつく言われてたから、ちゃんと7時までぐっすり寝て行ってました。ただ周囲のただならぬ気の遣いように、「あぁ、これは大変な仕事なんや。もっと大変にならなあかんねや」って思いましたね。
――
そうやって番組を理解するまでの半年の間、この番組で自分が人気出てる、この番組がムーブメントになってるという実感はありましたか?
ぜん
いや、まったくなかったです。むしろ、よそで「おもんない」って言われてヘコむことのほうが多かったですね。それを言われるのが辛くて、あまり外に出なくなりました。だから昼間は家で寝て、夜はうめだ花月に行く、その繰り返しになってきました。「もうちょっと人気が出てもええんちゃうか」と思ったけど、休みの日にミナミの街を歩いても、誰も顔ささへん。うつむき加減で歩くことが多くなりましたね。
  
 初の帯番組の司会という栄誉を授かりながら、生来の人見知りと番組内容を理解できない苛立ちから、喜びを噛み締めることができずにいたぜんじろう。毎晩テレビに出ているにも関わらず、繁華街で顔をさされることもない。芸人なのに、まるで会社員のように定時に出勤するだけの淋しい日々。
 しかし諦めかけていた半年後、呑み屋街とはまったく別の場所で、遂にこの番組に火がついた。そしてそれは、ぜんじろうを奮起させるに充分な「騒動」を引き起こしたのである。次回、「パチステ交換会に長蛇の列」をお楽しみに。
 *チャンネル君 2チャンネルから12チャンネルまで割り当てられた芸人の卵や学生、一般のOLさんなどが狭い部屋に閉じ込められ、丸一日テレビを視聴。その日にあったテレビ番組のツボをイラストフリップで紹介。総称して「チャンネル君」と呼ばれる。出身者に藤井隆がいることは有名だが、FM802の人気DJ尾花爽もいたことは、あまり知られていない。また、屯田(名人)のトークイベントにゲスト出演したブルースの女王もチャンネル君出身。
*ファンキー・ロケッツ 現うめだ花月が「うめだ花月シアター」と呼ばれた頃、開館当時に結成されたミュージカルユニット。隊長は町野あかり(元ミヤ蝶代)。なぜか人間だけではなくゴリラもメンバーだった。
(以上、人名については敬称略)
 
TEXT■吉村智樹 テープ起こし■泡の屑 撮影■おーしま2号 浪花の小池栄子
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